大江コン太の水

大江の僕らには寿命がない。

友は自由気まま、欲望の限度を知っているので戦争もない。

だから一族が一体ですべて「同じコン太」という。

違いは毛の色と模様だけである。

記憶は永遠に一族で保存されている。

 

初代は高野のコン太、

次は12匹もいるので全部高野の「コン太」である。

場所替えして又一族をつくったものには、

 

鎌倉に大江広元の墓と伝えられるものがあるが、

これは江戸時代に長州藩によって作られたものであり、

広元の墓とする根拠はない。

地元の言い伝えによると鎌倉市十二所の山中にある五輪塔が本来の広元の墓とされている。

 

高野山にはここ長州毛利家墓所のほかに山口毛利家墓所がある。
いずれも鎌倉幕府の名臣大江広元の四男・

大江季光を祖とするので、大江嫡流ではない。

 

毛利というのは、季光が父・広元から受け継いだ所領の相模国愛甲郡毛利庄を本貫とする。従って中世を通して「毛利」は「もり」と呼ばれていたが、いつのまにか「もうり」となった。

 

ところで、もともと西日本を統治していた毛利家は関が原の戦いで破れて長門と周防の2国に減封された。この周防が山口毛利家であり、長門がここ長州毛利家なのである。京都から鎌倉(神奈川県)、厚木(神奈川県)、柏崎(新潟県)、吉田(広島県)、

 

そして萩(山口県)に本拠を転々と移しながら、
乱世を生き延びた毛利家の関東のゆかりの地を追ってみた
この元祖大江のコン太の話をしよう。

2018年11月16日