日本人は多民族の和みの結晶

古代やまと民族の発祥を知れば
多地域から集まり地球人を成していた
すべての答えがそこにある

日本人脳を活かした時代が来る

古代人の心でビジョンを

日本人なら他国人に
古代史を語る

ビジョンブリッジ
非暴力精神
和の原点は古代史にある

世界を変える
美意識言語日本語


最新の科学的資料を基に
自分で歴史を作る

人口地政学

時代とは3世紀始めて日本が世界史に登場した時代です縄文人、弥生人の人口構成はどうだったか?

弥生期人口は
ピークで59万人

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縄文人はピーク時で26万人、後期は寒冷化で76,000人と減少。主に九州南部(現在の鹿児島)で生活していた。この縄文人の減少期に北九州に稲作民(弥生人)が、大陸揚子江南で生活していた民が流民となって、日本列島にわたってきた。これが稲作の始まりです


古墳期に、
日本列島に流入する
500万人の流民に食と住宅を提供した
初代のスーパーヒーローが卑弥呼です。

卓越した外交
倭王の印綬

三国100年動乱時代、
中国の人口は4,000万人から1,000万人へと減少。
流民となり各地へ流れ、一部が日本列島へと渡って来た。

卑弥呼の本質
現代日本人を生み出した女王

天皇と言うに躊躇なし

魏志倭人伝から始まる

高校生ならタブーを解く

ヤマト王権の正体とは
卑弥呼を封印した日本史


天皇制の始まり

大化の改新とは

倭国とは
半島、列島を合わせた
広域な他民族地域
こそ、「和」を生み出した

梅原猛説
「天皇家と藤原家は一体」である。
梅原猛は「奈良の都の政治は不比等の独壇場であった。不比等の下に集められたのは、智謀豊かな、法律、歴史に詳しい朝鮮人であった。『日本書紀』は不比等を編集責任者とし、太安万呂など歴史に詳しい渡来人によって書かれた」と述べている。「日本書紀」は百済人を主軸に書かれ、天皇・朝廷のプロモーター藤原氏の都合がいいように整理されているという。(神谷は不比等が日本列島を百済を中核としてまとめた戦略を当時の東アジアにおける列島のおかれた立場から、至極、当然で巨視的な視点だと考えている。)

「中臣鎌足の墓」の形式は朝鮮式説

中央に花崗岩の切石と部厚い素焼きのタイルを組み上げ、内側をしっくいで仕上げた墓室があり、漆で麻布を何枚も貼り固めた夾紵棺(きょうちょかん)が安置されていました。日本で初めての発見である。

幕末まで続く鎖国を考える

白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)は、天智2年8月(663年10月)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた百済復興を目指す日本・百済遺民の連合軍と唐・新羅連合軍との間の戦争のことである。

広域な日本列島

教科書で教えない事実に歴史の真実がある

多民族を束ねた
日本神話

ビジョンブリッジの鍵

今日の欧米知によって溶けておる日本脳を復活させるのは、古代日本を作り上げた「和の魂」です。卑弥呼から始まり大化の改新で純化し今日に至る「祭主天皇制」の再復活が「新天皇制」であります。

列島を日本国として和の政治を作り上げた藤原不比等の脳は、実に地球的であります。参謀には国を失った半島人及び同じく国を失ったイスラエル人の知恵を終結させて、神話をつくり、統治の軸を和となした魂は、今日の日本人が見習う精神です。


 

 


 
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