救急、余命2週間
妻(圭子)77歳危篤。茅ヶ崎市萩園に救急車を呼ぶ。以前の診察で進行性極上性麻痺と診断されていた病が悪化、「誤嚥性肺炎です。」余命2週間ぐらいと言われる。
人間の尊厳として胃や血管から栄養分を注入して生かすのは推薦できないとのアドバイス。「2週間後に療養付き病院へ移ります。」と告げられる。2024年8月23日の昼だった。
5年前、妻道路で転倒!
東京秋葉原の経理事務所の退職の日、両手に荷物を持って圭子は右脚骨折をした。夫の僕(昭)の携帯が鳴る。「動けないのタクシーで迎えに来て大丈夫だから」と圭子の声。僕は千代田区の朝日九段マンションから飛び出し東京逓信病院へ妻を運ぶ。
翌日手術。途中、医師から緊急電話。「呼吸困難で脳に血栓、溶解しますがいいですか?」と医師の声。「先生、OKです。」「すぐ来てください。」とまた電話。
進行性極上性麻痺、命助かる。
ICUのベットで圭子は呼吸をしていた。しかし、血栓の結果とせん妄症状がかさなり「進行性極上性麻痺」が発症した。3か月の入院後、脳の診断は茅ヶ崎市民病院で行った。要介護3の認知症と判定。
妻のおしめ変えと食事作り
僕の毎日となった。結婚以来50年、初めての妻への奉仕である。圭子は発語障害にもなっていたが過去の記憶はクリアで且つすべて前向きに笑っていた。僕はありのままの妻を見てそこに「笑うブッダ」を観た。
介護の5年間
「一つベッドで365日一緒」だった。「足を僕のお腹に乗せてくる、愛とはこれか」と実感する日々だった。この5年間に人の意識を前向きにする「Japonicaslim法」を着想した。
特発性間質性肺炎、僕も発症。
僕も3年前より予言されていた「特発性間質性肺炎」になっていた。藤沢徳洲会の呼吸器内科の先生より「余命10年は無理ね」。ネットでは「3から5年」とある。死を見て生きる生活がW介護で始まった。
難病認定
「奥さん介護で難病認定取りましょう」。難病認定がおり、進行遅延剤が処方された。僕の頭の中を占領した考え方は「妻を置いて死ねない。妻を看取って墓に収めてから僕も逝く」と心に決める
妻の余命、僕が決めるのか?
点滴だけだと長くて2か月の命だそうだ。妻の誤嚥性肺炎進行性極上麻痺で2から3週間で亡くなると聞かされていた。愛する妻が僕より長生きして路頭に迷ったら僕の愛はみじめだ。僕の生きているうちに死へと送ってあげたい。僕は妻を失う悲しみより安ど感を感じていた。
点滴だけでもう1か月半も過ぎる。
僕は酸素ボンベの酸素を吸いながら山登りのようにキツイが行く。とにかく会いたい。見たい。iPadをベッドわきに置きいつもの好きな沢田研二を聞かせるとにっこり笑う。顔つきも良くなっている。咽んでいた咳もしていない。腕などの皮がたるむ。しかし、僕は妻を殺しているのではないか?疑念がよぎる。
妻の命は妻のも!
10月9日、担当の医師と今後について話し合う。ケースワーカー、看護師、そして、担当医と僕。担当医「奥さんはもう口から食べるのは無理です。旦那さんは奥さんの命を自分の命と思っていませんか?奥さんの命は奥さんのものです。」
僕が先に死に妻が生きていても良いのです。
「先日、難病で妻を亡くした方から胃に栄養分を送る話を聞きました。出来るならそうしてください。僕は大きな間違いをしていました。愛することと命を混同していました。」人間の尊厳と聞かされ危篤状態で判断を間違えていました。担当医「生きる命は生きるのです。旦那さんが亡くなっても奥さんが生きていてもいいでしょう!!先のことは心配しないことです」
妻とハイタッチ!
「圭子、口からは無理だって、だから、胃から食べるよ。良いね」ジェスチャーと大きな声で何度も「理解した?」と聞く。「これから長生きしよう!!」「僕も頑張るよ。圭子も頑張って」妻がうなずく。にっこり笑う。手に付けたグローブで手を挙げる。ハイタッチ。僕も急に心が開いた。妻のおでこに何度も何度も接吻した。「二人で長生きだよ、いいね。」
生と死の波頭
10月17日、妻に生気は戻る。命を全うしたら、母なる宇宙から生まれた圭子は、母なる宇宙に帰る。 圭子は圭子の命を生みだした命の網の目をたどって宇宙に帰る。僕は僕を生み出した網の目をたどって宇宙に帰る。2人の出会いは海の波頭のしぶきが「お互いを意識した時」から始まった。意識と意識が繋がって愛が生まれた。
死後の二人は次の宇宙に飛んで行く
母なる宇宙に2人は別々に帰るが、いつの日か、壮大な宇宙で意識と意識がつながって、新たな命の種となるだろう。意識すれば花があり空があり鳥が鳴き木々が風に揺れ地球があり宇宙があり、素晴らしい生きものの世界がある。意識すれば愛がうまれ共に命を生きる。僕たちの生死は宇宙では波がしらのように一瞬で消えてしまうが、砕け散るさなかに強く意識で結ばれて母なる宇宙の懐へ戻る。何故なら僕達人間は宇宙から意識をプレゼントされた唯一の生き物だからです。
前向きな意識は、みえない優しさ、愛、笑い、平和を生み出していました。
彼女は、聖書のイエスとユダヤ教指導者との対立のやり取りを大変に怖がっていた。僕が対立箇所をできるだけ削除して「絶望のイエス」から「希望のイエス」に焦点を当てると、大変に喜んだ。彼女は100%子供の心になっていた。
人間の常識を超えた世界です。転んで足を骨折、神が妻に降りてきました。医学を超えた魂の昇華です。「愛」がほとばしってあふれてきます。多幸です。昔からのスーパー脳の上に3っ歳児・幼稚園脳が重なっています。思考はまったくの平和思考です。毎日、朝から沢田研二の動画で楽しんでいます。
神谷圭子(1947,9,1 東京都出身)
履歴:東京女子大学英文科卒、慶応大学仏文科卒、神谷昭の妻で事業パートナーでした。
父(藤田政廣)は、戦前は皇室の高松の宮の指定料理人で、戦後は、目黒雅叙園の和食料理長。
曾祖父(井上清一)は、戦前、戦後、港区赤坂で料亭を営なんでいた。
圭子本人は、現在(2024)要介護4、
出会い
ここから次の宇宙へ旅立ちます
妻・圭子の認知症でもアート生活です
may 5月
April 4月
March 3月
February 2月
January 1月